「あんた、泥棒したんじゃないの?」
その言葉が、私の心をズタズタに引き裂きました。
親の介護は、体力的にもしんどい。
でも、それ以上にきつかったのは「気持ちが通じない」ということでした。
「私なりに頑張っているのに、なんで疑われなきゃいけないの?」
「親のためにしているのに、どうしてこんなに責められるの?」
誰かに言えば、「そんなの気にしすぎだよ」とか
「認知症なら仕方ないよ」とか、そんな言葉が返ってくる。
でも、本当は“わかってほしい”じゃなくて、“支えてほしかった”だけなんです。
介護をする人は、よく「偉いね」と言われます。
けれど、偉くなんかなくていい。
ただ、限界まで我慢しなくてもいい。
私はそう思います。
これは、そんな私が「心が折れそうになった日」に、どうやって自分を立て直したかの記録です。
限界を感じた日。私はもう、無理だと思った
母の介護が本格的になったのは、数年前のことです。
最初は、買い物の代行や薬の管理といった、いわゆる「軽いお世話」でした。
父はまだ比較的元気だったとはいえ、高齢であることに変わりはなく、ふたりの暮らしを見守る日々が少しずつ増えていきました。
「これくらいなら、私にできる」と思っていたはずなのに、
気がつけば、通院の付き添い、食事の準備、家の中の安全管理まで、私の手が必要な場面は増える一方。
いつしか“手伝い”ではなく、“責任”になっていくような感覚。
その重さに、心がついていかなくなった瞬間もありました。
でも、徐々にできないことが増えていって、
ある日突然、「お金がない。盗まれた!」と騒ぎ始めました。
誰が盗んだの?と聞くと、母は私の名前を出しました。
「あんた、泥棒したんじゃないの?」
あのときの目が、忘れられません。
怯えたようで、疑うようで、憎しみさえ混じったような目。
私は何も言い返せませんでした。
怒っても仕方がないし、説明しても理解されない。
感情の出口がなくて、ただ黙って耐えるしかなかった。
家に帰って一人になったとき、
私は玄関でしゃがみこんで、声を出さずに泣きました。
「もう無理だ」
「なんで私だけがこんな思いをしなきゃいけないの?」
誰にもわかってもらえない。
兄にも頼れない。
親、特に母は日に日に疑り深くなり、私の顔を見ては「通帳返してよ」と言う。
私はただ、親が困らないようにと世話をしていただけなのに。
いつの間にか“疑われる人”になっていた。
そんな日が何日も続いたある日、
とうとう私の心は折れて、こう思ったのです。
「…もう介護、やめようかな」
でも、それでも私が介護を続けられた理由
「もう無理だ、やめたい」と思ったあの日から、
私は一度、両親のもとへ行くのをやめました。
たった2日間だけ。
でも、その2日間は私にとって“沈黙の中で自分と向き合う時間”だったのです。
誰にも話せなかった気持ちを、ノートに書いてみました。
人の顔も見たくなかったし、SNSも開けなかった。
ただひたすら、「なんで私はこんなに頑張ってるのに責められるの?」と、
その思いを何ページにも渡って書き続けました。
すると、少しずつ自分の中にあった“しんどさ”の正体が見えてきました。
「私は親のためにやってる」と思っていたけれど、
実はどこかで「感謝されたい」「理解されたい」と思っていたのかもしれません。
でも、介護って、見返りを求めるとしんどくなる。
まして相手が認知症となると、「伝わる」「報われる」を期待するほど辛くなる。
それに気づいたとき、私はこう決めました。
「もう、感謝されなくていい。
でも、私が壊れないことだけは大切にしよう」
そこから、3つのルールを自分に課しました。
① 無理な日は、何もしない
「今日どうしても行きたくない」「顔を見たくない」
そう思った日は、思い切って休むことにしたんです。
以前の私は、「やらなきゃ」「私しかいない」と思って無理をしていました。
でも、それでは続かない。
自分が倒れたら、結局、親も困ることになる。
そう考えるようになりました。
② 感情をためこまない。全部、ノートに書く
どんなに小さな怒りも悲しみも、まずは書く。
書くことで「こんな感情があるんだ」と自分で気づける。
そして、客観的に見えてくる。
- 「私は怒って当然だったな」
- 「これはもう私の手に負えない領域かも」
そんな気づきが出てくると、心が少しラクになります。
③ ひとりで抱え込まないと決めた
兄には頼れない。
でも、他にも相談できる人はいるはずだと思いました。
地域包括支援センター、介護相談員、友人、カウンセラー…。
「家族じゃない誰か」に話すことで、思いがけず気持ちが軽くなることもあるんです。
「頼るのは甘えじゃない」
それを自分に何度も言い聞かせるようにしました。
この3つのルールに救われたことで、私は少しだけ、自分の足で立てるようになりました。
介護は終わらない。
でも、“壊れずに関わる”ことはできる。
その感覚を持てたことが、私にとっての第一歩でした。
👉 施設を考えた日|罪悪感と解放感のあいだででは、そのときの想いを率直に綴っています。
心の限界を超えたとき、見えてきた新しい景色
あの日、思い切って「地域包括支援センター」に電話をかけた自分を、私はいまでも褒めてあげたいと思っています。
それまでの私は、「他人に頼るのは情けない」とどこかで思い込んでいました。
家族のことは家族で何とかするべきだ、と。
でも、それが無理だったからこそ、ようやく“他人”の手を借りることにしたのです。
電話の向こうの女性相談員は、落ち着いた声でこう言いました。
「あなたが壊れてしまったら、意味がないんですよ」
「だから今、SOSを出せたことは正解です」
その言葉に、私は涙が止まらなくなりました。
責められることも、説教されることもなかった。
ただ、「よくがんばりましたね」と言ってもらえたことが、どれほど救いだったか。
そこから、介護について少しずつ“制度”を知るようになりました。
- ケアマネジャーさんの存在
- デイサービスという選択肢
- 福祉用具のレンタルや、ヘルパー派遣
- 認知症サポーターの存在
こんなにも“頼っていい制度”があるのに、
知らなかっただけで、私は「全部自分でやるしかない」と思い込んでいた。
それって、無知というより、孤立だったのだと思います。
少しずつ外部サービスを利用するようになってから、
両親の生活はもちろん、私自身の心がラクになっていくのを感じました。
たとえば、
- デイサービスで誰かと笑う母を見るだけで、安心する
- 誰かが訪問してくれる日があるだけで、自分の時間を確保できる
- ケアマネさんと話すことで、「自分だけじゃない」と思える
介護って、“愛情”だけでどうにかできるものじゃないと、心から思います。
むしろ、愛情だけに頼ると、どこかで破綻する。
必要なのは、「他人の手」と「制度」と「距離感」。
その3つを持てたとき、ようやく私は「親と、ふつうに話せるようになった」のです。
そして何より──
私はこの経験を通じて、自分自身を立て直していく力を取り戻しました。
親のためではなく、“自分が潰れないため”の選択をしていいのだと、初めて許せたのです。
介護と向き合うすべての人へ|私から伝えたいこと
いま、介護の渦中にいるあなたへ。
私は、あなたの苦しさを「わかる」とは簡単に言えません。
でも、「わからないことが、どれほどつらいか」は知っています。
私は、母に「ありがとう」と言ってもらえなかったことを、長い間悩みました。
「してあげているのに、どうして伝わらないの?」
「これって、自己満足なのかな」
そんなふうに、自分の気持ちすら疑うようになっていたのです。
でも、今はこう思います。
“ありがとう”がなくても、
“伝わっている感覚”がなくても、
あなたのやっていることは、ちゃんと価値がある。
人のために動くって、本当はとてもエネルギーがいることです。
まして相手が身内で、介護という重さを伴うものならなおさらです。
だからこそ、私は声を大にして伝えたい。
🌱「誰かを支えるには、まず自分が立っていること」
🌱「優しい人ほど、壊れやすい。だからこそ“手を抜いて”いい」
🌱「頼るのは逃げじゃなくて、“守り方”のひとつ」
あなたが笑える日が、1日でも多くあるように。
あなたが安心して「今日はもう無理」と言えるように。
そのために、周りにある制度や人を使ってください。
「頑張りすぎなくてもいい」と誰かに言ってほしかった過去の私へ、
今の私は、やっとその言葉を渡せるようになりました。
だから今度は、あなたに届けたいのです。
介護には、終わりが見えない日々もあります。
でも、あなたの人生にも終わりはありません。
あなた自身の人生を、“支える側の人生”としてだけではなく、
あなたのための人生として、大切にしてほしい。
それが、私がここまで介護と向き合ってきて、一番伝えたいことです。
私の選択を支えたもの|リアルに役立ったサービス・アイテム
介護の限界を感じたとき、私を救ってくれたのは「人の手」だけではありませんでした。
実は、日々の生活の中で役に立ったサービスやアイテムがたくさんあったのです。
「ひとつでも心と体の負担を減らせたら、それでいい」
そう思えるようになってから、私は“便利なものに頼る”ことを自分に許しました。
ここでは、そんな「使ってよかった」「あのときの自分に教えてあげたかった」リアルな支えを紹介します。
① 食材宅配サービス|献立を考えないだけで、心が軽くなる
介護が始まってから、「自分の食事を作る気力」がなくなる日が増えました。
母のことで頭がいっぱいで、買い物に行く気もしない。
そんなときに始めたのが、Oisix(オイシックス)のおためしセットでした。
カット済みの野菜や簡単な調理手順のおかげで、心も体もずいぶん助けられました。
- 材料がすべて揃っていて、手順も簡単
- 買い物に行かなくていい
- 自分の「食」も丁寧に扱える
「私は、ちゃんと食べていいんだ」と思えるようになっただけでも、大きな転機でした。
② 家事代行|掃除・洗濯の負担を“お金で時間に変える”
介護と仕事と家事。
3つすべてを完璧にやろうとすると、体も心も壊れます。
週に1回でもいい。
2時間でもいい。
家事をお願いするだけで、驚くほど心が軽くなることを知りました。
今なら、シルバー人材センターや市の補助が使えることもあります。
「人に任せていい」と思えること自体が、回復の第一歩でした。
③ 見守りサービス・緊急通報装置
親がふたりきりでいる時間が不安だった私にとって、離れて暮らす親のことは、どうしても心配が尽きません。
「今日は大丈夫かな」「何かあったらどうしよう」──そんな不安を抱えながら、日々を過ごしていました。
そんな私にとって、ソニーの見守りサービス MANOMA(マノマ)は、大きな安心材料になりました。
「もしものときに連絡が来る」──たったそれだけの仕組みが、気持ちに余裕を与えてくれたのです。
- 自宅の人感センサーで安否確認
- 一人で倒れても通報ボタンがある安心感
介護される側にも、される側にも「見えない安心」をくれるサービスです。
④ 心を支えてくれた1冊の本
感情が限界に近づいたとき、私はふと本屋で見かけた1冊の本を手に取りました。
本の中に書かれていた「あなたが壊れてはいけない」の言葉に、泣きながらページを閉じた記憶があります。
本は、誰にも頼れない夜に寄り添ってくれる“無言の味方”です。
まとめ:限界を感じたとき、自分を助けてあげてください
介護は、がんばっている人ほど孤独になりがちです。
「私がやらなきゃ」「投げ出したら親がかわいそう」──
そんな思いを抱えながら、今日も自分を後回しにしていませんか?
でも、本当に限界を感じたときは、どうか気づいてあげてください。
あなたの心と体も、今ここにあっていい。守られるべき存在だということを。
助けを求めることは、決して甘えではありません。
プロの手を借りること。サービスに頼ること。家事を外注すること。
それらはすべて、「逃げ」ではなく自分を大切にする選択肢です。
私自身も、ある日ふっと糸が切れたように動けなくなったことがありました。
そのとき、「ここで私が倒れてしまったら…」と、ようやく気づいたんです。
だからこそ今は、ひとりで抱え込みすぎる前に、ちょっとだけ外の力を借りています。
もし、あなたも今つらさの中にいるのなら──
どうか、「自分を守る選択肢」があることを知っていてください。
そんな思いを込めて、以下に私が実際に助けられたサービスを紹介します。
必要だと感じたとき、そっと手を伸ばしてみてくださいね。
🧹 在宅介護を支える「手放す」選択
介護や家事をすべて自分ひとりで抱えてしまうと、心も体もすり減ってしまいます。
ときには「誰かにお願いする」ことも、自分と家族を守るための大切な選択肢。
私自身、もう動けない…と思った日に「プロに頼る」ことのありがたさを実感しました。
そんな時に出会ったのが、家事代行サービスCaSy(カジー)です。
👉 お財布と心が笑顔になる家事代行サービスCaSy
忙しい日々や、限界を感じたときの“もうひとつの選択肢”として、ぜひ一度ご覧ください。
もちろん、誰かに頼ったからといって、すべてが楽になるわけではありません。
介護をしていると、ふとした瞬間に
「もっとできることがあったのでは」
「私は間違っていないだろうか」
と、自分を責める気持ちが何度も襲ってきます。
介護をしていると、
「もっとできることがあったのでは」
「私は間違っていないだろうか」
と、自分を責める気持ちが何度も襲ってきます。
でも、ひとつだけ、声を大にして言いたいのです。
あなたは、もう充分すぎるほど頑張っています。
限界を感じるのは、弱いからではありません。
それだけ、一生懸命に向き合っている証です。
私は介護の中で何度も泣きました。
逃げたくもなりました。
でも、「自分を守る選択」をし始めてから、
ようやく母とも“人として”向き合えるようになった気がしています。
介護は、決してひとりでやるものではありません。
制度も、サービスも、人の手も、
全部「あなたが壊れないための支え」です。
今日、限界を感じているあなたが、
このブログ記事で少しでも「ひとりじゃない」と思ってくれたら、
それが、私が書いた意味です。
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