着信音が鳴るたびに、胸がざわつく──
そんな感覚を覚えたのは、母の介護が始まってしばらく経った頃でした。
今回の記事では、私自身が経験した「介護の現実」について、少し重い話を正直に綴ります。同じように悩んでいる方が「自分だけじゃない」と感じてくだされば幸いです。
介護には、想像以上に心を削られる場面があります。今回は、そんな現実の一例として読んでいただけたらと思います。
介護を始める前、私は「優しく寄り添って、母を支えてあげよう」と思っていました。でも、現実は想像していたものとは全く違いました。特に、母からの頻繁な電話については、誰も教えてくれませんでした。
認知症初期の母との電話──はじめは普通の会話だった
母が認知症と診断されて半年ほど経った頃、電話の回数が増え始めました。最初は「今日は寒いわね」「体調はどう?」といった、普通の親子の会話でした。
でも、だんだん同じことを繰り返し聞いてくるようになりました。「お父さんはいつ帰ってくるの?」「今日は何曜日?」「私はここにいていいの?」。父は3年前に亡くなっているのですが、母にとってはまだ帰りを待っている存在でした。
一日に5回、6回と電話がかかってきても、最初は「認知症だから仕方ない」と思って、できるだけ優しく答えていました。同じ質問に同じように答える。それが娘の役目だと思っていました。
介護の電話が止まらない日々──生活が壊れていく恐怖
でも、電話の回数はどんどん増えていきました。朝6時に起こされる電話。仕事中にかかってくる電話。夕食の準備をしている時の電話。お風呂に入ろうとした時の電話。
そして、夜中の電話。午前2時、3時に「お父さんはまだ帰ってこないの?」「どうしたらいいの?」と泣きながら電話をかけてくる母。眠い目をこすりながら、「大丈夫よ、お母さん」と答える私。
一日に10回以上かかってくることも珍しくなくなりました。内容はいつも同じ。お父さんのこと、家に帰りたいこと、不安で仕方がないこと。これが、いわゆる「鬼電」の始まりでした。
私の生活は、母の電話に支配されるようになりました。友人と会っていても、仕事の会議中でも、携帯電話が鳴るたびに心臓がドキドキしました。「また母からかもしれない」という恐怖が、いつも心の隅にありました。
着信音が怖い…介護うつの入り口になった瞬間
ある日、気づいたのです。携帯電話の着信音を聞くだけで、体が震えることに。
それまで大好きだった音楽を着信音にしていたのですが、その音楽を街で聞いても、テレビで流れても、条件反射的に不安になってしまうのです。好きだった音楽が、恐怖の対象になってしまいました。
着信音を変えてみました。でも、どんな音にしても同じでした。電話の音そのものが、私にとって恐怖の象徴になってしまったのです。
友人からの楽しい電話も、大切な仕事の連絡も、すべてが「また母からの電話かもしれない」という不安で曇ってしまいました。携帯電話を見ることすら、だんだん怖くなっていきました。
「着信拒否」を選んだ私の葛藤と罪悪感
心が限界に近づいた時、私は思い切って着信拒否をしました。でも、設定した瞬間から、今度は別の不安が押し寄せてきました。
「もし本当に何かあったらどうしよう」「転んで怪我をしているかもしれない」「火事があったらどうしよう」。着信拒否をしたことで、今度は「何かあったらどうしよう」と想像の中で不安がふくらんでしまいました。
結局、半日も経たないうちに着信拒否を解除してしまいました。するとやはり、何件も着信が入っていました。そして、留守番電話には泣きながら「どうして出てくれないの?」という母の声が録音されていました。
その声を聞いた時、私は自分が最低の娘だと思いました。でも同時に、「もう限界だ」という気持ちも正直ありました。
「なんで私だけが、こんなに抱えているんだろう」
そんなふうに感じていた時期もありました。
👉 兄弟姉妹と介護の温度差|なぜ私だけが抱えているの?
介護に対する家族間の温度差に悩んだことについても、別の記事で綴っています。
睡眠不足・集中力の低下…心が壊れていく実感
そんな生活が1年ほど続いた頃、私は明らかに変わってしまいました。
夜は眠れない。眠ってもすぐに携帯電話の音で目が覚める。日中はぼんやりしていて、集中力もなくなりました。仕事でもミスが増えて、同僚に迷惑をかけるようになりました。
家族との会話も減りました。夫が話しかけてくれても、上の空で返事をしている自分がいました。子どもたちも、「お母さん、最近変だよ」と心配してくれましたが、どう説明していいか分からませんでした。
そして何より辛かったのは、母に対する感情が複雑になってしまったことでした。愛している気持ちは変わらないのに、電話の音を聞くと「また」という嫌な感情が先に立つのです。そんな自分を責めて、さらに心が重くなりました。
ケアマネージャーとの出会い
そんな時、母のケアマネージャーさんが定期的な訪問に来てくださいました。いつものように「特に変わりありません」と答えようとしたのですが、その時、突然涙が溢れてしまいました。
「どうされましたか?」と優しく聞いてくださったケアマネージャーさんに、私は初めて本当のことを話しました。頻繁な電話のこと、眠れないこと、着信音が怖いこと、心が壊れそうなこと。
「それは本当にお疲れ様です」と言ってくださった時、私は救われた気持ちになりました。「こんなことで相談してもいいのかな」と思っていましたが、専門家の方が真剣に聞いてくださることで、自分の状況を客観視できるようになりました。
ケアマネージャーさんは、「介護者の健康が最優先です。あなたが倒れてしまっては、お母さんを支えることもできません」と言ってくださいました。その言葉で、自分を守ることは決して悪いことではないのだと思えるようになりました。
兄との連絡〜家族で支える
ケアマネージャーさんのアドバイスもあり、遠方に住む兄に連絡を取りました。これまで、「自分が近くにいるから」と思って、なかなか頼れずにいました。
兄に状況を説明すると、「どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ」と心配してくれました。そして、「僕にもできることはある」と言ってくれました。
兄は週に2回、母に電話をしてくれるようになりました。また、私が限界を感じた時は、兄が母に電話をして話し相手になってくれる時間を作ってくれました。
一人で抱え込んでいた重荷を、家族で分けることができました。完璧ではないけれど、少しずつ楽になっていきました。
着信拒否という決断
そして、ケアマネージャーさんと兄と相談した結果、夜間の着信拒否を決断しました。午後9時から朝7時までは、母の電話番号を着信拒否にする。緊急時は、施設の職員さんが私の番号とは別の緊急連絡先に連絡してくれる体制を整える。
最初は罪悪感がありました。でも、夜中に電話に出たところで、母の根本的な不安が解消されるわけではありません。むしろ、私が疲れ果てて優しく対応できなくなることの方が、母にとって良くないのではないかと思うようになりました。
実際に夜間の着信拒否を始めてから、私の睡眠は改善されました。朝、しっかりと眠った状態で母からの電話に出ることができるようになり、以前よりも優しく話すことができるようになりました。
自分を守る介護──それも優しさの一つ
この経験を通して、私は「自分を守ること」の大切さを学びました。
介護は長期戦です。短距離走のように最初から全力で走り続けていては、途中で息切れしてしまいます。自分の体力や精神力を大切にしながら、長く続けていくことが重要なのです。
母に対して優しくありたい。でも、そのためには、まず自分が心身ともに健康でいなければなりません。自分を犠牲にしてまで尽くすことは、結果的に母にとってもよくないのです。
介護の中で、つい「私が頑張らなきゃ」「弱音を吐いちゃいけない」と思い込んでいた私に、
「自分を後回しにしないでいいんだよ」と教えてくれた本があります。
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これからも続く介護への想い
母の介護は、これからも続きます。認知症の症状が改善することはありませんから、新しい課題も出てくるでしょう。でも、一人で抱え込まず、家族や専門家の方々と相談しながら、自分を大切にしながら続けていこうと思います。
完璧な介護はありません。でも、お互いにとって良い方法を見つけながら、母との時間を大切にしていきたいと思います。
電話の回数は以前より減りませんが、私の心の持ち方は変わりました。同じ質問を何度されても、「今日も元気に電話をかけてこられるんだな」と思えるようになりました。
おわりに〜一つの経験として
介護の現実は、想像していたものとは全く違いました。美しい話ばかりではありません。時には辛くて、腹が立って、逃げ出したくなることもあります。
でも、それは決して恥ずかしいことではありません。人間として当然の感情です。大切なのは、一人で抱え込まないこと。そして、自分を大切にすることです。
私の経験が、同じような状況にある方の参考になれば幸いです。完璧でなくても、自分らしく、母と向き合い続けていこうと思います。
介護は人それぞれ。正解はありません。でも、自分を守りながら、できる範囲で精一杯愛情を注ぐこと。それが、私なりの介護の形だと思っています。
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