施設を見に行った日|まだ決断できない私の揺れる思い

優しい光の中で考え込む女性|親の介護と施設選びに揺れる気持ち

両親の介護が続くなかで、ふと頭をよぎったのが「施設にお願いする」という選択肢でした。

誰かに言われたわけでもなく、自分の中に芽生えたその想いに、戸惑いながらもネットで調べ、実際に見学に行ってみた──
でも、すぐに答えは出せなくて、今もまだ気持ちは揺れたままです。

介護に正解なんてない。
だからこそ、迷っている自分の気持ちも大切にしたくて、この記事を書きました。


目次

はじめに|“施設”という言葉に揺れた日

「もう限界かもしれない」──
そう思った日が、私にはありました。

母の体調が安定せず、何かと気をつかうことが増えてきた頃。
でも、それだけではありませんでした。
父も家にいて、ふたりの暮らしを見守る日々。
どちらか一方の介護というよりも、両親の生活そのものを支えていく現実が、私の肩にずっしりとのしかかっていました。

買い物、通院の付き添い、薬の管理、食事の用意──
日常の中にある“ふつうのこと”が、介護になった瞬間、すべてが重労働になります。
何をどうしていいかもわからず、「とにかく動くしかない」と自分に言い聞かせるようにして過ごしていた日々。

でもそのうち、疲れが抜けなくなっていきました。
ごはんを作る気力もなく、家の中が片づけられない。
やるべきことは山積みなのに、頭がぼんやりして動けない。

──そのとき、ふと浮かんだのが、
「施設、という選択肢もあるのだろうか」という考えでした。

自分でもびっくりしました。
その瞬間、胸の奥に罪悪感が広がり、「私はひどい娘なんじゃないか」という思いがこみ上げてきて…。

「母はどう思うだろう」
「父は嫌がらないだろうか」
「兄に話しても、どうせ理解してもらえない」

そんな不安が次々に押し寄せてきて、思考がぐるぐると回って止まりませんでした。
でも同時に、こうも思っていました。
「このままじゃ、私が壊れてしまう」と。

この記事は、そんな私が「両親を施設に預けるかもしれない」という選択肢と向き合った過程を綴ったものです。
実際には、まだ何も決まっていません。
見学には行ったけれど、話し合いは進んでおらず、今も家での見守りを続けている状態です。

それでも、あの日「施設を見に行こう」と思えたこと、
実際に足を運んだことが、少しだけ自分を助けてくれました。

今、「決めきれない」ことで自分を責めている方がいたら──
その気持ちに、少しでも寄り添えたらと思い、この文章を綴っています。


きっかけは、心と体が限界に近づいたあの日

ある日のこと。
父と母のもとから自宅へ帰ってきた私は、キッチンに立つことすらできず、ソファに崩れ込むように座りこみました。

買い物もできなかった。
冷蔵庫の中は空っぽで、食べるものが何もない。
でも、食べたいものも思いつかないし、何を作ろうという気力もわかない。

何をするにも、体が重く、頭がぼんやりする。
今思えば、完全に介護疲れのサインだったのだと思います。

介護が始まってから、「自分の食事を作る気力」がなくなる日が増えました。 両親のことで頭がいっぱいで、買い物に行く気もしない——そんなときに始めたのが、**Oisix(オイシックス)**のミールキットでした。 簡単に栄養バランスの整った食事がとれるだけで、心が少し楽になった気がします。 食べることは、思っている以上に「心の余裕」にもつながっているんだと感じました。
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母は足腰が弱くなり、歩行も不安定。
父は昔ながらの気質で、「介護なんて大げさな」と言いながら、私が差し出す助けを拒むこともありました。

それでも、父なりに母のことを気にしてはいて、でもどうしたらいいのかわからない様子。
何をしても怒るでもなく、でも何をしてくれるわけでもない。
そんな中、結局すべての世話や段取りが私に集中していく日々。

最初のうちは「できることがあるうちは私がやらなくちゃ」と思っていました。
でも、やることが積み重なるにつれて、
自分の暮らしが、呼吸が、何もかも奪われていくような感覚になってきたのです。

ご飯の支度をして、掃除をして、病院の送迎をして。
帰りの電車の中で、「あれ買っておかなきゃ」「あの書類まだ提出してない」なんてことばかり考えて、
自分の部屋に帰ってきたら、もう動けない。

「これ、いつまで続くんだろう」

考え始めたら止まらなくて、眠れない夜も増えていきました。
友人に話しても「たいへんだね」「親孝行してるね」とは言ってくれるけど、
本当のところは、どこかで「大げさだな」と思われているんじゃないか、そんな気もして。

そんなとき、ふと思い出したのが、ネットの広告で見かけた「施設見学」という文字。

すぐに何かが決まるわけでもないけど、
「情報だけでも見ておこう」
「今後の選択肢として知っておこう」

そう思って、施設の資料請求をしたのがきっかけでした。

封筒に入ったパンフレットを手に取ったとき、
妙に手が震えていたことを今でも覚えています。

中を開くと、整った室内、レクリエーションの風景、スタッフの笑顔──
そこにあるのは“安心”と“配慮”の世界。

でも、ページをめくるたびに、胸の奥がギュッと締めつけられていく。

「本当に、ここで父と母が暮らせるのだろうか?」
「私はその選択をするべきなのだろうか?」

パンフレットを閉じたあと、深いため息がこぼれました。
でもそれでも、
“見てはいけないものを見た”ような気持ちではなく、
“ちゃんと向き合わなきゃいけない現実”に、一歩近づいたような、
そんな感覚があったのです。


兄に話してみたけれど──すれ違う思い

「施設を見に行こうかと思ってる」

その言葉を、私はやっと兄に伝えました。
電話ではなく、LINEで。
直接話すと、言葉に詰まってしまいそうだったからです。

既読になるまでに少し時間がかかり、返ってきたのはたった一言でした。

「早すぎない?」

正直、それを見たとき、心がギュッと痛みました。
「そうだよね」と思う気持ちもあるけれど、
私の疲れや悩みを何ひとつ聞くことなく、その一言だけ。

それで、すべてが否定されたような気がしたのです。

兄は昔から、感情をあまり表に出すタイプではありません。
私が何かを相談しても、いつも「お前が決めたらいい」と言うばかり。
今回も、私の気持ちや苦労を深く知ることなく、「早いんじゃない?」とだけ。

でも──
兄は、親と一緒に暮らしているわけではありません。
介護の現場にも立ち会っていない。
何がどれだけ大変なのかを、体で知っているわけではないのです。

もちろん、彼には彼の生活があります。
仕事もあるし、家庭もある。
私がすべてを背負わなきゃいけない理由はないのかもしれません。

でも、いちばんしんどい時に、
「大丈夫?」ではなく「早すぎない?」だったことが、
思った以上に心に刺さってしまったのです。

私はすぐに返事をせず、スマホをそっと伏せました。
部屋の明かりも消して、布団の中にうずくまるように横になりました。

心の中で、兄に叫びました。
「じゃあ、どうすればよかったの?」
「私ひとりが潰れるまで待てばよかったの?」

でも、その声は誰にも届かず、ただ自分の中を反響するだけでした。

兄に悪気はなかったかもしれません。
ただ、施設=親を見捨てるような印象を持っていたのかもしれない。
それは、私自身も最初に感じたことだったからです。

でも、違うんです。

施設は「放棄」じゃない。
「支えきれなくなった私自身を守るための、もうひとつの選択肢」なんです。

それでも、兄にはそれが伝わらなかった。
もしかしたら、今も理解してくれていないかもしれません。

でも、この話をしたことで、私の中にひとつの整理がついた気がしています。

──もう、兄の理解を待つ必要はない。
自分が潰れてしまう前に、自分の心と体を守る決断をしてもいい。
そう、思えるようになったのです。

「施設」という選択肢が頭をよぎるまでには、親の介護に向き合う中で、何度も限界を感じた日々がありました。
👉その時の心の葛藤は、別の記事「親の介護と向き合う私のリアル|限界を感じた日、私はこうした」にも綴っています。

介護や家事をすべて自分ひとりで抱えてしまうと、心も体もすり減ってしまいます。 ときには「誰かにお願いする」ことも、自分と家族を守るための大切な選択肢です。 私自身、もう動けない…と思った日に「プロに頼る」ことのありがたさを実感しました。 そんな時に出会ったのが、**家事代行サービスCaSy(カジー)**でした。
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施設を見学して見えてきた“現実”

週末、私はひとりで施設の見学に出かけました。

場所は、家から車で30分ほど。
できれば、何かあったときにすぐに駆けつけられる距離がいい。
そう思って選んだ候補のひとつでした。

予約の時間に受付を済ませると、明るく丁寧なスタッフの方が案内してくれました。

エントランスには季節の花が飾られていて、
廊下には手すりがついている。
部屋は個室で、家具の持ち込みもOK。
清潔感があり、ふんわりとした優しい空気が流れていて、
「思っていたよりずっと落ち着いた場所だな」と感じました。

食堂では、利用者さんたちがにこやかに談笑していました。
レクリエーションや体操の時間もあり、スタッフとの距離も近い。

「ここなら…」と思った自分がいたことに、驚きました。

でも、同時に押し寄せてきたのは、
“本当にここで暮らす姿を想像できるか”という自問。

母は、環境が変わることに強い不安を感じる人です。
父は、外からの支援に警戒心が強く、他人に任せることを潔しとしない性格。

いくら施設が安心であっても、
当人たちが納得できなければ、それは「解決」ではありません。

見学を終えて車に戻った私は、ハンドルに手をかけたまま、しばらく動けませんでした。

「ここに預けられたら楽になる」
「でも、それは私の都合ではないのか」

心の中でそんな葛藤が続きました。

施設は、親を手放す場所ではない。
親の命と生活を、別の形で“守る”ための場所なんだ。

そう思おうとしても、
ふと母の顔や、父の背中が浮かぶと、胸がギュッと締めつけられる。

自分の気持ち、親の気持ち、兄の無理解──
全部を天秤にかけたまま、
「正しい答え」が見つからずにいたのです。

それでも、施設を見に行ったことは無駄じゃなかったと思います。

パンフレットでは伝わらない「空気感」や「スタッフの様子」、
「自分がこの選択を考え始めた」という小さな第一歩が、
この見学という行動に詰まっていたからです。

「今すぐ決めなくてもいい」
「でも、いつか必要になるかもしれない」

そう思えることで、少しだけ気持ちが落ち着きました。

家に帰ってきて、母と父の顔を見たとき。
「今はまだ、この家での暮らしを守りたい」と思ったのも事実です。

だけど、それは「いつまでも」という意味ではない。
今はまだ、見守りを続けていけるかもしれない。
けれど、またいつか限界が来たときのために、
私には“選択肢”があるんだと、自分に言い聞かせるようになったのです。

まだ「施設に入れる」という決断まではできないけれど、 両親がひとりでいる時間の不安を減らしたい…そう思っていたときに知ったのが、見守りサービスでした。 スマホで様子が確認できたり、「もしものときに通知が届く」という安心感は、思った以上に心を支えてくれます。 「完全に介護を任せるわけじゃないけれど、少しだけ頼りたい」——そんな気持ちにちょうどいい選択肢でした。
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今の私の気持ちと、同じ悩みを抱えるあなたへ

親の介護が現実となり、
兄弟との温度差に悩み、
家族の反応に傷つき、
そして一人、施設を見学した私。

気がつけば、心も体も、知らないうちにボロボロになっていた気がします。

でも、この記事を書いている今、
私はひとつの答えにたどりついた気がしています。

「すぐに決めなくてもいい」
「だけど、選択肢は知っておいていい」
「今の自分の気持ちを、否定しなくていい」

それが、私がこの数ヶ月のあいだで学んだことです。

施設を考えることは、冷たいことじゃない。
むしろ、家族を守るための選択肢のひとつ。

そして何よりも──
「私自身が壊れてしまわないようにするための手段」なんです。

この記事を読んでくれているあなたも、
もしかしたら私と同じように、
「なぜ私だけ?」と感じているかもしれません。

兄弟が手伝ってくれない。
周囲に理解されない。
自分ばかりが背負っている気がする。

その気持ち、本当に、よくわかります。
そして、そんな風に感じてしまう自分を、責めたくなってしまうことも──。

でも、お願いです。

どうか、あなた自身を責めないでください

責めるべきは、誰でもないんです。
制度や、環境や、時代が、
「がんばり続ける人」を評価しすぎているだけなんです。

本当に大切なのは、
あなたが「自分の暮らし」と「心の健康」を守ること。

そのうえで、できることを無理なくやっていく。
それで十分です。
それ以上は、本当にがんばらなくていいんです。

私も今、まだ「見守り中」の立場です。
施設に入所したわけではありません。

でも、「考えた」「調べた」「足を運んだ」という経験が、
私の中に、確かな安心と、支えになっています。

だから、あなたにも伝えたい。

今はまだ決断できなくても、
知っておくこと、考え始めることは、とても大切な一歩です。

最後に。
介護の悩みは、一人で抱えないでください。
話せる人がいないときは、どうか私のこの文章を思い出してください。

あなたの苦しみは、本物です。
そして、あなたの気持ちは、ちゃんと誰かに届いています。

心から、応援しています。

夕暮れの分岐点の道|施設という選択を考える50代の女性
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この記事を書いた人

当ブログ管理人のかこです。
50代になり、これからの人生をもっと楽しく、豊かに生きたいと思っています。このブログでは、50代からの人生開花をテーマに、日々の暮らしや心のケア、趣味のことなどをシェアしています。

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