話せなかった私へ。人を信じられなかった50代の私が、今言いたいこと

話せなかった私へ。人を信じられなかった50代の私が、今言いたいこと

子どもの頃から、私は「気をつかう子」だった。
祖父母の前では安心できたけれど、それ以外の大人には自然に遠慮していた。
親戚が集まる日、お客さんが来る日、私は人の気配を感じるだけでそっと陰に隠れた。
「いい子でいなきゃ」「ちゃんとしてなきゃ」──そんな思いが、子どもの私をぎゅっと縛っていた。

小学生のころも、中学生になっても、学生時代それはずっと続いた。
どうやって友達と打ち解けたらいいのか、わからなかった。
みんなが自然に話して笑っている中で、私はどこか遠くから見ているような気持ちだった。
ときにはイジメられたこともある。
けれど、それを親に言うことはなかった。
「心配させたくない」「迷惑かけたくない」その一心で、がんばって学校に通い続けた。

本当は、ひとりで泣いていた。
誰にも打ち明けられなかった。
笑顔だけが、私の唯一の防具だった。
「話すのが苦手なら、せめて笑っていよう」──そう思って、私はいつも笑っていた。


目次

話せるようになったのは、学生時代が終わってから

今の私は、誰とでも話せる。
話すのが好きだし、笑いに変えることも得意になった。
けれど、それは“社交的な性格”になったわけではない。
長い時間をかけて、自分の心の中に「言葉」が少しずつ育っていっただけだ。

学生時代、話すことが怖くて、うまく言葉が出てこなかった私。
そんな私が、それでも笑っていたのは、人とつながりたかったからだと思う。
あの頃の私がいたから、今の私は人の話をよく聞くようになった。
黙ってしまう人の気持ちが、なんとなくわかるようになった。

ある日、友人の結婚式でこんなことを言われた。

「あなたは、いつもわたしの悩みや不安も相談にのってくれて話をよく聞いてくれてありがとう。でも、自分のことは話してくれなかった。少し寂しかった時もあったけど、いつも笑いあえて本当に感謝してる。いつも助けてくれてホントありがとう!」

その言葉を聞いたとき、なんだか胸がぎゅっとなった。
そうか、私は「話を聞くこと」で、少しでも人の役に立っていたんだ。
そして、それまでの私は「自分のことは話しちゃいけない」とどこかで思い込んでいたんだと思う。


笑いあっても、簡単には心を許さない

いまの私は、表面的には明るい。
太陽のような人だとさえ言われる。不思議なことに・・・
どんな人とも話せるし、職場やご近所でもそれなりにうまくやっている。
でも──やっぱり、簡単には人を信じられない。
笑いあっても、心を全部開くことはない。

信じすぎて傷ついたこともあった。
打ち明けたことを、軽く扱われてしまったこともあった。
だから、「この人なら大丈夫」と思うまでには時間がかかる。
それを“壁”と呼ぶ人もいるかもしれないけれど、私はそれでいいと思っている。

誰とでも仲良くなれなくてもいい。
少しずつ、心の距離を測りながら、無理のない関係をつくっていけばいい。


「誰にも打ち明けられなかった私」から、「誰かの心を受けとめる私」へ

この年齢になってやっと、「話すこと」と「話さなくても伝わること」の違いがわかってきたような気がする。
若いころは、とにかく“わかってもらおう”としていた。
でも、いまは、“わからなくても、そばにいるよ”という距離感のほうが心地いい。

たぶん、あの頃の私がずっと欲しかったのは、「わかろうとしてくれる人」だった。
たとえ全部を説明できなくても、「なんとなくでも、あなたの気持ち、わかるよ」と言ってくれる人。
そういう存在がいるだけで、人は救われる。

いま私は、そんな存在に少しずつなれているだろうか。
誰かの心に、そっと寄り添える存在になれているだろうか。


本音を書くことは、ちょっと恥ずかしい。でも──

こうして書いていて思うのは、本音を言葉にするのって、やっぱり恥ずかしい。
「こんなこと、誰が読むんだろう?」
「わたしの恥さらしにならないかな?」
そんな不安が、何度もよぎる。

でも思う。
本音でしか、伝わらないことがある。
上っ面だけの「こうしたらいい」「ああすればいい」なんて言葉じゃなくて、
誰かの心に残るのは、きっと「本当の気持ち」なんだって。

わたしは、誰かのために書きたい。
同じように、笑顔の下でひとり我慢していた人へ。
うまく話せない自分を責めていた人へ。


もしこの記事が、誰かの心に届くのなら

私はこれからも、本音を書いていきたい。
失敗してきた自分、つらかった自分、乗り越えてきた自分、
すべてを抱えて生きてきた自分に、自信を持っていいのだと、ようやく思えるようになった。

そして──
これを読んでくれたあなたが、もし少しでも「私と似てる」と感じてくれたのなら、
あなたはひとりじゃない。
きっと、誰よりも人の痛みがわかる優しい人なんだと思う。

そんなあなたに、わたしは伝えたい。

「話せないことがあっても、大丈夫。
笑ってごまかした過去があっても、大丈夫。
人を簡単に信じられなくても、大丈夫。
そんなあなたが、誰かを救う日がくるから」


最後に、気持ちがふっと軽くなったものたちを置いておきます🌿

ここまで読んでくれてありがとうございます。
少し重たい話だったかもしれないけれど…
こういう気持ちも、どこかで誰かに届いてくれると嬉しいです。

そんな私が、気持ちが沈んだときや、「よし、もうちょっとやってみよう」って思えたときに出会ったものたち。
よかったら、覗いてみてくださいね。

📚心をほぐしてくれた本たち
『日日是好日』森下典子
 → お茶のお稽古から学ぶ「今を生きる」という感覚。読み終えると深呼吸したくなります。
『弱さのちから』若松英輔
 → 「弱さ」を否定せず、むしろ人間らしさや共感の源として捉える視点が印象的です。

小さな癒しの時間をくれたものたち
▶︎ ふんわり香るアロマディフューザー
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「これいいな」って思ったものがあれば、それだけでうれしいです。
今日も、自分にやさしく過ごせますように。

かこ


もう誰かのために頑張らないと決めた日に

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この記事を書いた人

当ブログ管理人のかこです。
50代になり、これからの人生をもっと楽しく、豊かに生きたいと思っています。このブログでは、50代からの人生開花をテーマに、日々の暮らしや心のケア、趣味のことなどをシェアしています。

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