子どもの頃から、私は「気をつかう子」でした。
祖父母の前では安心できたけれど、それ以外の大人には自然と遠慮していた。
親戚が集まる日、お客さんが来る日、私は人の気配を感じるだけでそっと陰に隠れた。
「いい子でいなきゃ」「ちゃんとしてなきゃ」──そんな思いが、子どもの私をぎゅっと縛っていたのです。
小学生のころも、中学生になっても、学生時代を通じて、その感覚はずっと続きました。
どうやって友達と打ち解けたらいいのか、わからなかった。
みんなが自然に話して笑っている中で、私はどこか遠くから見ているような気持ちだったのです。
ときにはイジメられたこともありました。
けれど、それを親に言うことはなかった。
「心配させたくない」「迷惑かけたくない」──その一心で、がんばって学校に通い続けました。
本当は、ひとりで泣いていました。
誰にも打ち明けられなかった。
笑顔だけが、私の唯一の防具だったのです。
「話すのが苦手なら、せめて笑っていよう」──そう思って、私はいつも笑っていました。
話せるようになったのは、学生時代が終わってから
今の私は、誰とでも話せるようになりました。
話すのが好きだし、笑いに変えることも得意になった。
でも、それは“社交的な性格”に生まれ変わったわけではないのです。
長い時間をかけて、自分の心の中に「言葉」が少しずつ育っていっただけ。
学生時代、話すことが怖くて、うまく言葉が出てこなかった私。
そんな私が、それでも笑っていたのは、人とつながりたかったから。
あの頃の私がいたからこそ、今の私は人の話をよく聞くようになりました。
黙ってしまう人の気持ちが、なんとなくわかるようになったのです。
ある日、友人の結婚式でこんな言葉をもらいました。
「あなたは、いつも私の悩みや不安を聞いてくれてありがとう。
でも、自分のことは話してくれなかった。少し寂しかった時もあったけど、
それでも笑いあえて本当に感謝してる。いつも助けてくれてホントありがとう!」
その言葉を聞いたとき、胸がぎゅっとなりました。
私は「話を聞くこと」で、少しでも人の役に立っていたのだと気づいたのです。
そして、それまでの私は「自分のことは話しちゃいけない」とどこかで思い込んでいたのかもしれません。
笑いあっても、簡単には心を許さない
いまの私は、表面的には明るい。
太陽のような人だとさえ言われることもあります。
どんな人とも話せるし、職場やご近所でもそれなりにうまくやっている。
でも──やっぱり、簡単には人を信じられません。
笑いあっても、心を全部開くことはない。
信じすぎて傷ついたこともある。
打ち明けたことを、軽く扱われてしまった経験もある。
だから、「この人なら大丈夫」と思えるようになるまでには、どうしても時間がかかるのです。
それを“壁”と呼ぶ人もいるかもしれません。
でも私は、それでいいと思っています。
誰とでも仲良くなれなくてもいい。
少しずつ、心の距離を測りながら、無理のない関係をつくっていければいいのです。
「誰にも打ち明けられなかった私」から、「誰かの心を受けとめる私」へ
この年齢になってやっと、「話すこと」と「話さなくても伝わること」の違いが、少しずつわかってきました。
若いころは、とにかく“わかってもらおう”としていた。
でも、いまは、“わからなくても、そばにいるよ”という距離感のほうが心地いい。
たぶん、あの頃の私がずっと欲しかったのは、「わかろうとしてくれる人」。
たとえ全部を説明できなくても、「なんとなくでも、あなたの気持ち、わかるよ」と言ってくれる人。
そういう存在がいるだけで、人は救われるのです。
いま私は、そんな存在に少しずつなれているでしょうか。
誰かの心に、そっと寄り添える存在になれているでしょうか。
本音を書くことは、ちょっと恥ずかしい。でも──
こうして書いていて思うのは、本音を言葉にするのって、やっぱり恥ずかしい。
「こんなこと、誰が読むんだろう?」
「私の恥さらしにならないかな?」
そんな不安が、何度もよぎります。
でも思うのです。
本音でしか、伝わらないことがあると。
上っ面だけの「こうしたらいい」「ああすればいい」なんて言葉じゃなくて、
誰かの心に残るのは、きっと「本当の気持ち」なのだと。
わたしは、誰かのために書きたい。
同じように、笑顔の下でひとり我慢していた人へ。
うまく話せない自分を責めていた人へ。
もしこの記事が、誰かの心に届くのなら
私はこれからも、本音を書いていきたい。
失敗してきた自分、つらかった自分、乗り越えてきた自分、
すべてを抱えて生きてきた自分に、自信を持っていいのだと、ようやく思えるようになりました。
そして──
これを読んでくれたあなたが、もし少しでも「私と似てる」と感じてくれたのなら、
あなたはひとりじゃない。
きっと、誰よりも人の痛みがわかる優しい人なのだと思います。
そんなあなたに、私は伝えたい。
話せないことがあっても、大丈夫。
笑ってごまかした過去があっても、大丈夫。
人を簡単に信じられなくても、大丈夫。
そんなあなたが、誰かを救う日がきっとくるから。
最後に、気持ちがふっと軽くなったものたちを置いておきます🌿
ここまで読んでくれてありがとうございます。
少し重たい話だったかもしれないけれど…
こういう気持ちも、どこかで誰かに届いてくれると嬉しいです。
そんな私が、気持ちが沈んだときや、「よし、もうちょっとやってみよう」と思えたときに出会ったものたち。
よかったら、覗いてみてくださいね。
📚心をほぐしてくれた本たち
- 『日日是好日』森下典子:お茶のお稽古から学ぶ「今を生きる」という感覚。読み終えると深呼吸したくなります。
- 『弱さのちから』若松英輔:「弱さ」を否定せず、むしろ人間らしさや共感の源として捉える視点が印象的です。
☕小さな癒しの時間をくれたものたち
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「これいいな」って思ったものがあれば、それだけでうれしいです。
今日も、自分にやさしく過ごせますように。
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