ある朝、目が覚めたとき、なんだかいつもと違う感じがしました。
何が違うのでしょう。
いつもと同じ時間に目覚まし時計が鳴って、いつもと同じようにカーテンを開けて、いつもと同じように顔を洗いました。でも、何かが違います。胸の奥に、ぽっかりと空いたような、そんな感覚がありました。
それは、子供が家を出て行った後のことだったり、長い間お世話をしてきた人との別れの後だったり、あるいは、ずっと一緒にいた大切な存在がもういない、そんな日々の中で感じることがあります。
心に余白が生まれる。
そんな表現がありますが、本当にそうなのだと思います。目には見えないけれど、確かに何かがそこにあったはずの場所が、すっぽりと抜け落ちてしまったような感覚。
触れることはできないけれど、確かに感じる空虚さ。
今回の記事では、今回の記事では、50代で感じる「心の空白」をテーマに、その感情をどう受け止め、どのように日々を過ごしていけるのかをまとめてみました。
心に広がる空白にある感情 ― さみしさ・悲しさ・悔しさ
その空白を見つめると、いろいろな感情が渦巻いています。
さみしさがあります。
これまで当たり前にあった誰かの存在、誰かの声、誰かの温もり。それがもう、そこにありません。朝起きて「おはよう」と言う相手がいません。夜帰ってきて「ただいま」と言っても、返事が返ってきません。そんなさみしさ。
悲しさもあります。
もっとこうしてあげればよかった、もっとあの時ああ言えばよかった、もっと一緒にいる時間を大切にすればよかった。そんな後悔にも似た悲しさが、心の奥底からじわりと染み出してきます。
悔しさだってあります。
まだ終わりたくなかった。もっと続くと思っていました。こんなふうに心が空っぽになるなんて思っていませんでした。そんな、どこにぶつけていいのかわからない悔しさが、胸の中でくすぶっています。
世の中では、これらを「マイナスの感情」と呼ぶのかもしれません。
本当にマイナスなのでしょうか。
これらの感情は、確かに重くて、苦しくて、できれば感じたくないものかもしれません。
けれど、同時に、それは何かを大切に思ってきた証でもあります。誰かを、何かを、本気で愛してきたからこそ、その不在が痛いのです。
だから、その余白を恥じることはありません。
その感情を否定することもありません。
ただ、そこにある。それでいいのです。
心の空白をどう受け止める?余白を生きるヒント
時間が経つにつれて、思うことがあります。
この空白、このままでいいのだろうか。
もちろん、無理に何かで満たす必要はありません。
焦って塞ごうとしなくてもいい。
でも、いつまでも空白を見つめて立ち尽くしているだけでは、前に進めない気もします。
そんなとき、頭に浮かぶのは、自分のためにできることを探すということ。
自分のために、何かできることはないだろうか。
自分が少しでも心地よくなれることは、何だろう。
自分が少しでも笑顔になれることは、何だろう。
それは、とても些細なことでいいのです。
本当に、ちょっとしたことでいいのです。
大きな決断も、劇的な変化も、必要ありません。
ただ、自分の心が少しでも温まるような、そんな小さな何かを見つけて、それを実際にやってみる。
それだけでいいのです。
小さな楽しみが心を満たす ― 散歩や雑貨から始める暮らし
わたしの場合、それは大好きな犬と出かけることでした。
いつもの散歩コースではなく、ちょっと遠くの公園まで足を延ばしてみます。犬が嬉しそうに尻尾を振りながら、知らない匂いを嗅いでいます。その姿を見ているだけで、なんだか心が温かくなります。
犬は何も言いません。でも、ただそこにいてくれます。一緒に歩いてくれます。時々振り返って、わたしの顔を見上げてくれます。それだけで、ああ、自分は一人じゃないんだと思えます。
あるいは、心ときめく雑貨を買ってみること。
ふらりと立ち寄った雑貨屋さんで、小さな陶器のカップを見つけます。淡い水色で、手に取るとちょうどいい重さと温もりがあります。特別高価なものではありません。でも、このカップでコーヒーを飲んだら、きっと美味しいだろうなと思います。
買って帰って、実際にコーヒーを淹れてみる。そのカップで飲むコーヒーは、不思議といつもより美味しく感じます。それは、カップが特別だからではなく、自分のために選んだものだから。自分の心を少しでも満たすために選んだものだからです。
そんな、本当に些細なこと。
でも、その些細なことが、心に広がった空白を、少しずつ満たしていきます。
心の余白を埋めるのは、特別なことでなくてもかまいません。お気に入りのカップでコーヒーやお茶を飲むひとときも、気持ちをやさしく整えてくれます。
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心にできた余白をやさしく満たしていくためには、新しい小さな楽しみを取り入れるのもおすすめです。こちらの記事では、50代から始められる趣味について書いています。▼

心の余白は埋めなくても大丈夫 ― 不完全さを抱えて生きる
誤解しないでほしいのは、その空白が完全に満たされるわけではないということ。
誰かがいなくなった寂しさ、何かが終わってしまった悲しさ、それらが完全に消えることはありません。
そして、それはそれでいいのだと思います。
その余白は、大切な何かがあった証だから。
だから、無理に完全に満たそうとしなくていいのです。
ただ、留守になったそのこころの空白の中に、少しずつ、自分の好きなものを置いていくだけ。
自分を心地よくさせてくれるものを並べていくだけ。
そうすると、空白は確かにそこにあるけれど、その中には温かいものがたくさんある、そんな状態になります。
空白だけを見つめていると、確かに辛いです。
でも、その中にある温かいものたちに目を向けると、ああ、自分はこんなにも豊かなものに囲まれているんだと気づきます。
ときには、過去の経験やしがらみを手放すことが、心を軽くしてくれます。こちらの記事では、手放すことから得られる気づきについてまとめています。▼

自分のために生きる時間を持つ ― 心が喜ぶ選択をしてみる
自分のために、何かをする。
それは、決して贅沢なことではありません。
わがままなことでもありません。
むしろ、とても大切なことなのだと思います。
長い間、誰かのために生きてきました。
誰かのお世話をしてきました。
誰かの幸せのために、自分のことは後回しにしてきました。
それは素晴らしいことですし、誇れることです。
今は、少しだけ自分のことを考える時間があってもいいのです。
自分の心が何を求めているのか、耳を傾けてみること。
自分の心が何を喜ぶのか、探してみること。
自分の心が何で満たされるのか、試してみること。
それは、本当に小さなことでいい。
美味しいパンを買って、ゆっくり味わって食べる。
好きな音楽を聴きながら、お茶を飲む。
図書館で気になっていた本を借りて、読む。
近所の花屋さんで、小さな花束を買って、部屋に飾る。
昔好きだった場所に、久しぶりに行ってみる。
そんな、誰かに褒められるわけでもない、誰かに認められるわけでもない、ただ自分の心が少しだけ満たされる、そんなこと。
50代に訪れる心の変化と新しい季節のとらえ方
50代という年齢は、不思議な季節です。
子育てがひと段落して、親の介護が始まって、あるいはすでに終わって。仕事では責任ある立場になって、でもどこか先が見えてきて。体力も、若い頃のようにはいかなくなって。
これまでずっと、誰かのために走り続けてきました。
気がつけば、自分のことは二の次、三の次でした。
でも、ふと立ち止まって周りを見渡したとき、そこに誰もいない、そんな感覚に襲われることがあります。
子供たちは独立して、自分の人生を歩んでいます。
親との時間はすでに過ぎ去り、思い出の中に残っているかもしれません。
夫は仕事に忙しく、すれ違いの日々が続いているかもしれません。
そんなとき、心に静かな空間が広がります。
でも、この空間は、決して絶望ではないのです。
これは、新しい自分との出会いの入り口なのかもしれません。
心の空白は始まりのサイン ― 新しい物語を描くために
不思議なもので、そうやって自分のために小さなことを積み重ねていくと、だんだんと視界が変わってきます。
最初は空白しか見えませんでした。
その空虚さに、圧倒されそうでした。
でも、少しずつ、周りにあるものが見えてきます。
自分が選んだ小さな幸せたち。
自分を温かくしてくれるものたち。
そして、それらを選ぶことができる自分自身。
こころの余白は、終わりではないのかもしれません。
むしろ、何かの始まりなのかもしれません。
これまでは、誰かのための人生でした。
それは素晴らしい人生でした。
でも、これからは、自分のための人生も始められるかもしれません。
余白が生まれたからこそ、そこに新しい何かを描くことができます。
何かが去ったからこそ、新しい何かを迎え入れる場所ができました。
それは、決して前にあったものを否定することではありません。むしろ、前にあったものを大切に思いながら、それでも前に進むということです。
50年以上生きてきた人生の中で、たくさんのものを積み重ねてきました。たくさんの経験をして、たくさんの人と出会って、たくさんの喜びも悲しみも味わってきました。
その全てが、今の自分を作っています。
そして今、心に生まれた余白があるからこそ、これまで見えなかったものが見えてきます。これまで聞こえなかった自分の心の声が、聞こえてきます。
心に余白が生まれたとき、香りのよいお茶をいただくと、気持ちがすっとほぐれるものです。彩り豊かなフルーツティーは、ほんの少しの時間を特別にしてくれます。
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今日からできる小さな一歩 ― 自分のための行動
今日も、心には余白があります。
寂しさも、悲しさも、悔しさも、まだそこにあります。
でも、今日は、自分のために何かひとつ、してみようと思います。
大好きな犬と、いつもよりちょっと遠くまで散歩してみようか。 それとも、ずっと気になっていたあの雑貨屋さんに、立ち寄ってみようか。 お気に入りのカフェで、ゆっくりとコーヒーを飲んでみるのもいいかもしれません。
何でもいいのです。
ただ、自分の心が「いいな」と思えること。自分の心が少しでも温かくなること。それをひとつ、やってみます。
余白は、そこにあります。 でも、その空間に、少しずつ温かいものを置いていきます。
そうやって、一日一日を過ごしていきます。
それが、今のわたしにできること。 そして、それでいいのだと思います。
さいごに
心に余白が生まれること。
それは、確かに辛い経験です。
避けたかった経験かもしれません。
でも、その空白があるからこそ、自分の心と向き合う機会が生まれます。
自分が本当に何を大切にしているのか、何を求めているのか、それを知る機会が生まれます。
空白を恐れることはありません。 その感情を否定することもありません。
ただ、そこにある余白を認めて、そして少しずつ、自分の好きなもので、その空間を満たしていきます。
それは、誰かのためではありません。 自分のため。
そして、自分のために生きることは、決して悪いことではありません。むしろ、とても大切なことなのです。
50代だからこそ、自分のために生きる時間を持っていいのです。 50代だからこそ、自分の心の声に耳を傾けていいのです。 50代だからこそ、小さな幸せを積み重ねていいのです。
今日も、あなたの心には余白があるかもしれません。 でも、今日も、あなたは何かひとつ、自分のためにできることがあります。
それは、本当に些細なことでいいのです。
その小さな積み重ねが、やがて大きな温もりになります。
心に余白が生まれたとき、そこから新しい物語が始まります。
あなたの物語が、少しでも温かいものでありますように。
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