50代という節目に立ち、これまでの「当たり前」だった生き方を見直すようになりました。
誰かのために頑張ることに疑問を持ち始めたのは、ごく最近のことです。
先日、同僚と何気ない会話をしていて、ふと昔の自分を振り返る機会がありました。そのとき、胸の奥で静かに響いた想いを、今この瞬間に言葉にして残しておきたいと思います。
きっと、似たような経験をしている方もいるのではないでしょうか。
特に50代を迎えた今、人生の折り返し地点でふと立ち止まり、「このままでいいのかな」と感じる瞬間が増えてきたように思います。
今回の記事は、そんな心の変化について、私自身の正直な気持ちをお話ししてみたいと思います。
50代で気づいた“頑張る私”の落とし穴|武勇伝への執着を手放して
振り返ってみると、20代、30代の頃の私は、まるで何かに追われるように「人より多く」「人より先に」ということに固執していました。
仕事では誰よりも長時間働き、誰よりも多くの案件を抱え、休日出勤も当たり前。子供の学校行事や地域の活動でも、率先して役員を引き受け、面倒な仕事も「私がやります」と手を挙げていました。
そんな自分を、どこか誇らしく感じている部分がありました。「あの人は本当によく働く」「頼りになる」と言われることが、自分の存在価値を証明してくれているような気がしていたのです。
忙しさは一種のステータスでした。「忙しい」と言うことで、自分が必要とされている人間だと感じることができました。疲れ果てた顔で「昨日も遅くまで残業で…」と話すとき、それはまるで武勇伝を語っているかのようでした。
人のために頑張りすぎた日々|50代で自分を後回しにしてきたことに気づく
しかし、そんな生活が続くうちに、いつの間にか「誰かのために何かをする」ことが当たり前になってしまいました。
家族のために、職場のために、地域のために。気がつけば、自分の時間、自分の気持ち、自分の体調よりも、常に他者のニーズを優先する生活になっていました。
「お疲れさま」と言われても、「ありがとう」と感謝されても、なぜかその言葉が心に響かなくなっていました。それは当然のことをしているだけで、特別なことではないと思うようになっていたからです。
朝起きてから夜寝るまで、自分のことを考える時間はほとんどありませんでした。「今日は何が食べたいか」「今度の休みは何をしたいか」そんな基本的なことさえ、考える余裕がなくなっていました。
50代で訪れた心境の変化
そして50代を迎えた今、体力的にも精神的にも、明らかに変化を感じています。
以前なら一晩徹夜をしても翌日には回復していたのに、今は一日の疲れが翌日まで残ります。集中力も以前ほど長続きしません。記憶力も、若い頃のようにはいきません。
でも、それは決してネガティブな変化だけではありませんでした。むしろ、これまで見えなかったものが見えてくるようになったのです。
体力の限界を感じるようになったことで、「本当に大切なことは何か」を考えるようになりました。時間が有限であることを実感するようになったことで、「どう過ごすか」を選択するようになりました。
同僚との会話で気づいた“忙しさを手放す”という生き方
今日の同僚との会話で、私は改めて自分の心境の変化に気づきました。
「昔は本当に何でも引き受けてたよね」と彼女が言ったとき、私は苦笑いを浮かべながら「そうそう、あの頃は忙しいことが自慢だった」と答えました。
そして、続けて言った言葉が、自分でも驚くほど率直でした。「でも今は、もうその気持ちは手放したいと思ってる。これからは自分のために時間を使いたい」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥で何かがすっと軽くなったような気がしました。長い間、心の奥底で感じていた想いが、ようやく言葉になったのです。
「自分のため」という選択の意味
「自分のために」という言葉は、一見すると身勝手に聞こえるかもしれません。でも、50代になった今、私はこの言葉の本当の意味を理解し始めています。
自分を大切にするということは、自分の気持ちに正直になるということです。疲れたときは休む。興味のないことは断る。好きなことに時間を使う。そんな当たり前のことを、当たり前にできるようになることです。
これまで「誰かのため」に費やしてきた時間やエネルギーを、「自分のため」に使うことで、結果的に周りの人たちにも、より良い自分を提供できるようになるのではないでしょうか。
疲れ果てた状態で無理をして誰かを助けるよりも、自分が元気で満たされた状態で、本当に必要なときに手を差し伸べる方が、きっと意味があるはずです。
手放すことの大切さ
50代という年齢は、多くのものを手放す時期でもあります。
若い頃の体力、記憶力、集中力。そして、「人より多く」「人より先に」という競争心や、「誰かのために」という義務感。
これらを手放すことは、決して敗北や諦めではありません。むしろ、本当に大切なものを見極めるための、必要なプロセスなのです。
手放すことで、新しい価値観や生き方に出会えます。これまで見えなかった景色が見えてきます。自分の心の声に耳を傾けることができるようになります。
頑張り続けてきた自分を少しずつ手放すことで、ようやく見えてきた心の余白。
そんなとき、私はこんな言葉にも救われました。
▶ 『ま、いいか』で心がラクになる|50代女性が完璧を手放して軽やかに生きるコツ
50代からの自分らしい生き方|“比べない・頑張りすぎない”を選ぶ
これからの私は、もう「武勇伝」を作ろうとは思いません。人と比べて多く働くことを誇りに思うことも、きっとないでしょう。
代わりに、自分の心が穏やかでいられる時間を大切にしたいと思います。好きな本を読む時間、美味しいコーヒーを飲む時間、大切な人とゆっくり話す時間。
そして、本当に必要なときだけ、無理のない範囲で誰かの力になれればと思います。義務感からではなく、心からの想いで。
自分でも驚いたそのひと言――
「これからは自分のために時間を使いたい」。
長年、無意識に背負っていた“誰かの期待に応える生き方”を、そろそろ終わらせてもいいかもしれない。そう思えるようになったのです。
👉 そんな想いに寄り添ってくれたのが、こちらの一冊でした。
📖 『50代から実る人、枯れる人』松尾一也(ディスカヴァー携書)
50代という節目をどう生きるか、静かに考えさせてくれる本です。
同じような気持ちを抱えている方へ
もし、この文章を読んでくださっている方の中に、同じような気持ちを抱えている方がいらっしゃるなら、一緒に歩んでいけたらと思います。
「人のため」から「自分のため」へのシフトは、決して簡単なことではありません。長年の習慣や価値観を変えることは、時に罪悪感を感じることもあるでしょう。
でも、それは決して間違ったことではありません。むしろ、自分を大切にすることで、周りの人たちとの関係も、きっと良い方向に変わっていくはずです。
50代から始める小さな手放し|“自分のため”を取り戻す第一歩
私も、まだこの新しい生き方を模索している最中です。でも、少しずつでも変化を感じています。
例えば、以前なら「やります」と即答していた依頼に対して、「少し考えさせてください」と言えるようになりました。断ることに対する罪悪感も、以前ほど強くありません。
週末には、予定を詰め込むのではなく、何もしない時間を作るようにしています。その時間が、どれほど心を回復させてくれるか、改めて実感しています。
50代からの新しい幸せ
50代という年齢は、人生の新しい章の始まりだと思います。
これまで築いてきた経験や知識を活かしながら、新しい価値観で生きていく。若い頃の「量」から、今度は「質」を重視する生き方へ。
それは決して消極的な生き方ではありません。むしろ、より深く、より豊かな人生を歩むための、積極的な選択です。
おわりに
今日の同僚との会話から始まったこの想いを、こうして言葉にできて良かったと思います。
きっと、同じような経験をされている方も多いはず。そんな方たちと、これからの新しい生き方について、いつか語り合えたらと思います。
「人のため」から「自分のため」へ。この心境の変化を、私は前向きに受け入れていきたいと思います。そして、自分らしい50代、60代を歩んでいきたいと思います。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。あなたの人生も、きっと素敵な変化が待っているはずです。
この気づきは、「手放しシリーズ」のひとつとして綴ったものです。
忙しさや“頼られること”に執着していた私が、少しずつ「自分のために生きる」選択をするようになったこと。
50代という節目に、そんな生き方の変化を見つめ直す記事をまとめています。
同じように「頑張りすぎてきた」と感じている方に、そっと届きますように。
🌸 今日のわたしに、やさしさをくれるアイテム
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