子育てが終わった今、私はあらためて「良い親」であることの重圧から解放され、少しずつ自分らしい人生を再発見しています。
長年、子どものためにと過ごしてきた日々、そして子どもたちが巣立ったその瞬間、家の中が一気に静かになり、何か大切なものが欠けたように感じました。その空虚感にどう向き合うべきか分からず、しばらくは何をして良いのか分からなかったのです。しかし、時が経つにつれて、その「空白」がむしろ新たな自由として感じられるようになりました。
育児において、「良い親」であることを強く意識させられます。時には、それが過度に自分を追い詰め、精神的にも肉体的にも疲れ果てる原因となってしまうことがあります。
私は、育児において完璧を求めすぎて、長い間、自分を後回しにしてきました。
しかし、今振り返ってみると、私は「良い親」でなくても、子どもたちはしっかり成長し、人生を歩んでいるということに気づきました。むしろ、完璧を求めすぎることが、子どもたちに与えるプレッシャーや私自身のストレスを増やしていたのではないかと思うのです。
子育てを終えた私が今、伝えたいことは一つ。
それは、「良い親でなくても、十分素晴らしい親である」ということです。
完璧な親である必要はない、むしろ、自分を大切にし、自由に生きることが、最終的には子どもたちにも良い影響を与えるということに、私は今、ようやく気づいたのです。
子育ての最中に感じたプレッシャーと完璧主義
私が子育てをしていた頃、常に「良い親」であることに必死でした。
もちろん、親としての責任を感じていたし、できる限り子どもにとってベストな環境を提供しようと努力していたつもりです。
食事は手作りで栄養バランスを考え、学校や習い事にも積極的に参加し、勉強もきちんと見守る…。
どれも子どものため、家族のためと思ってやっていたことが、次第に自分を追い詰め、息苦しく感じるようになったのです。
自分を後回しにしてまで、子どもたちのために全力を尽くしていました。
しかしその反面、私は次第に体力が奪われ、精神的にも限界が近づいていたことに気づき始めたのです。
わたしと同じ年代の方たちは「良い親」でなければならないというプレッシャーが強かったように思います。
SNSで見る完璧な家族像や、周囲の親たちの期待が重くのしかかっていたような感じもします。
完璧な母親像を追い求めて、友人や親戚と比べて、自分が遅れを取っているように感じたり、足りない部分を補おうと必死になったり…。
そんな日々が続く中で、心のどこかで「本当はもっとリラックスしても良いのでは?」という声もありましたが、それを受け入れることができず、さらに自分を追い詰めてしまっていた。
ある日、子どもたちが寝静まった後、自分の顔を鏡で見た時、そこで初めて気づいたのです。
肌は疲れ、目にはクマができ、笑顔が減っていることに…。その瞬間、私は心の中でこう思いました。「私は一体、何を目指しているんだろう?」と。完璧な母親を目指すあまり、自分自身の心と体を犠牲にしていることに、ようやく気づいた瞬間でした。
完璧を目指さなくても良かった
その後、私は少しずつ「完璧な親」であろうとすることから解放されていきました。もちろん、育児に対して真剣に向き合い、愛情を注ぐことは大切です。
しかし、それだけでは親としての満足感は得られません。私はようやく、「良い親」であろうとすることを辞めることができたのです。
例えば、家事や食事の準備も完璧にしなければならないというプレッシャーから解放されました。
自分の体調が悪い時には、無理をせず、買ってきたお惣菜や簡単な料理でもいいと思えるようになりました。それまで、子どもたちに完璧な食事を提供しようと努力していた私ですが、ある日ふと、「今日は無理をせず、みんなで外食にしよう」という決断をしました。
簡単なことに思えたその選択が、どれほど私の心を軽くしてくれたか、今では思い出として温かく感じています。
家族にとっても、そして自分にとっても、良い選択だと気づいたとき、大切なのは、完璧を求めることではなく、皆が自分のペースで心地よく過ごせることだと、私は気づきました。
子どもたちにとって大切なのは、毎日の食事のクオリティだけではなく、家族が一緒に食卓を囲んで楽しむ時間だということに気づきました。
また、子どもたちに対しても、「完璧な子ども」でなければならないという期待を少しずつ減らしていきました。
失敗を恐れずに、自分のペースで成長していくことが大切だと伝えるように心がけました。
子どもたちも、そういった親の姿勢に安心し、自己肯定感を高めていったのだと思います。

子どもたちが巣立ち、私自身が自由になる時
子どもたちが巣立ってから、私は自由な時間を手に入れました。
それまで子ども中心の生活に埋もれていた自分が、ようやく自分の時間を持つことができるようになったのです。
最初はその「自由」にどう向き合うべきか分からず、戸惑いを感じました。
子どもたちが家にいる間は、当然ながら自分の時間はほとんどありませんでした。自分のことを後回しにして、家族のために尽力してきたその日々が長かっただけに、急に自由な時間を持つことに、逆に不安を感じることもありました。
時間が経つにつれて、その「自由」がどれだけ素晴らしいものかに気づくようになりました。
趣味や新しい挑戦、友人との時間、自分の体をケアする時間…。子どもたちのために使っていた時間を、自分のために使うことが、どれだけ心地よいものか、改めて実感しました。
私自身の人生を取り戻すことができた、その瞬間から私は確信しました。「良い親」であること以上に、自分自身が幸せで充実していることが、子どもたちにとっても一番の良い影響を与えるのだと。
「良い親」でなくても十分素晴らしい親である
今振り返ってみると、私は「完璧な親」ではなくても、十分に子どもたちに愛を与え、育てることができたのだと思います。
むしろ、私が「良い親」であろうとするあまり、無理をしていたことが、子どもたちに不必要なプレッシャーを与えていたのではないかと感じます。
私自身がリラックスし、楽しむことができてこそ、家庭が円満であり、子どもたちも安心して育ったのだと思います。
子どもたちが巣立って、ようやく自分の時間が持てるようになった瞬間、私はただその自由を楽しむことができる幸せを感じています。長い間、自分のことを後回しにしてきた分、その自由は何よりもありがたく、心から大切に思えるものとなったのです。
親としての役割を終えた今、自分自身の人生を自由に楽しむことが、子どもたちにとっても一番良い親の姿だということを。
おわりに
改めて伝えたいことがあります。それは、「完璧な親」である必要はなく、むしろ自分らしく生きることが、最も大切だということです。
あなたが「良い親」でなくても、全然大丈夫。
大切なのは、あなたが幸せで、自分のペースで過ごすことです。その姿が、子どもたちにとって一番の手本になるはずです。だからこそ、肩の力を抜いて、自分を大切にし、自由に生きてください。あなたの幸せが、家族の幸せにつながります。
あなたが「完璧な親」でなくても、何の問題もありません。
むしろ、自分を大切にして、自由に生きることこそが、最終的には子どもたちにとっても素晴らしい手本になるのです。
だから、肩の力を抜いて、ありのままの自分を大切にし、毎日を楽しんでください。それが、あなたの笑顔が家族に伝わり、子どもたちにも良い影響を与えるのだと信じています。
かこ

