「わたしの“推し活”デビュー」──50代から始めた“ときめき”が、こんなに人生を変えるなんて

50代女性が推し活ライブを楽しむ光景。まばゆいステージと、心を整える静かなひととき

「推し活って、若い子のものだと思ってた。」
そんなふうに感じていた私が、ある日ふと心を動かされた瞬間がありました。
最初はほんの小さなきっかけ。でも、それが思いもよらず、自分の中の“ときめきスイッチ”を押していたなんて、当時の私は気づいてもいませんでした。

「推し活」なんて無縁だと思っていた50代の私。
でも今は、静かに、そして確かに、私の毎日を明るくしてくれる“存在”がいます。


目次

“推し活”ってなに?50代の私には関係ないと思ってた

正直、ちょっと小馬鹿にしていたんです。
アイドルにキャーキャー言っている若い子たちの姿をテレビで見て、「まあ若いっていいわよね」なんて苦笑いしていた私。
ライブの遠征に行ったり、グッズを並べてSNSで自慢し合ったり──そういうのって“若い人の趣味”だと思っていたし、同時に、どこか「わたしには関係ない世界だな」と線を引いていました。

でも、たまにSNSで見かける「推し活で毎日が楽しい」「生きる希望ができた」なんて投稿に、ほんの少しだけ、心がチクっとしたんです。
その投稿の主は、同年代の女性だったりもして──「え、推し活って、私たちの世代でもするものなの?」と、びっくりしたのを覚えています。


きっかけは小さな偶然──心が反応した“ひとこと”

それは、本当に些細な瞬間でした。
テレビをつけっぱなしにしていた夕方、何気なく流れてきたCMで、ある俳優さんがふと画面に映ったんです。

「……あれ?なんか、いい声。」

それだけのことだったのに、不思議なくらい胸がスッと軽くなって、ついそのまま手元のスマホで名前を検索していました。

出演している作品をチェックして、YouTubeのインタビュー動画を見て、演じている役と本人とのギャップにキュンとしたりして。

気がつけば、次の日もその人の情報を探している自分がいました。

「推し」なんて言うと大げさな気がして、最初は自分でも笑ってしまいました。
でも今思えば、あれが私の“推し活デビュー”だったのかもしれません。

こんなふうに、「誰かを好きになるって、何歳でもできるんだな」と思えた瞬間。

👉 「人生は暇つぶしでいい」──50代で気づいた“何もしない”を楽しむ暮らし方


ときめきは、心を元気にしてくれる“栄養”だった

思い返せば、10年ほど前──
私にも“夢中”になっていた人がいました。

歌番組に出ていたら録画して何度も見返し、ファンクラブに入って、雑誌の発売日をメモして、本屋に走った日。
その人が登場するだけで、つらい仕事も頑張れたし、眠れない夜も救われるような気がしていました。

人に言うのがちょっと恥ずかしくて、「実はね…」と友人に打ち明けたときのドキドキ。
でも、意外にも同年代の友人が「わたしも〇〇が好きだった!」と共感してくれて、推しの話で盛り上がったのが嬉しくて。

あの頃の私は、間違いなく、毎日にときめいていました。
推しがいるだけで、世界がちょっとだけカラフルになる。
ときめきって、恋愛とはまた違う、もっと自由で、もっとやさしい心の栄養だった気がします。

そして今。
またふと、その感覚を思い出し始めた私は、あの頃のように心がほんのりと明るくなるのを感じているのです。

推しの存在って、生活をガラッと変えるわけじゃないけれど、
“心の奥にそっと灯るあかり”のようなものをくれるんです。

誰かのためじゃなく、「自分が心地よくなるために選ぶ時間」って、
本当に大切だと感じるようになりました。

👉 誰かのためじゃなく、自分のために|無理しない毎日のつくり方


誰かと比べない、“私だけの推し活スタイル”

あの頃、SNSで推し活している人たちを見て「すごいなあ」と思っていました。
手作りのグッズを並べて、遠征して、ライブ会場で涙を流して──まるで全力で青春しているような姿に、どこか圧倒されてしまったこともあります。

「そこまでできない自分は、本物の“推し活”とは言えないのかな?」

そんなふうに、勝手に線を引いていたこともありました。

でも今は、思うんです。
“誰かの基準”で自分の楽しみ方を決める必要なんて、まったくなかったんだって。

現場に行かなくても、配信で観るだけでもいい。
グッズを集めなくても、ポスターが部屋に一枚あるだけでいい。
SNSに何も発信しなくても、自分の中にそっと“推し”をしまっておくだけで、十分に幸せ。

50代になってからの推し活は、「見せる」より「満たす」ためのものになっていくのかもしれません。
誰かと比べるのではなく、「自分にとって心地いいかどうか」で決めていい。
“やらなきゃ”ではなく、“やりたいからやる”──そんな自然なスタイルが、一番長く続けられる気がしています。

何かを強く主張しなくても、静かにでも熱く心が震える瞬間があれば、それがもう“推し活”なんですよね。


“わたしだけの整え時間”が、また少し好きになった

推しの配信を見る前、
スマホスタンドをセットして、
お気に入りのマグカップにお茶を注いで、
照明を少しだけ落とす。

そのとき、手に取るのが、ワイヤレスイヤホン
耳に装着して音がふわっと入ってきた瞬間、
まるで世界が変わったみたいに、静けさと“推しの声”だけが残る。

顔を見なくても、声だけでわかる。
その言い回しやちょっとした間に、「今日も元気そうだな」と安心する。
ポッドキャストやラジオ配信の日は、家事をしながらでも、ちゃんと“そばにいる感覚”がある。

洗濯物をたたみながら、
歩きながら、
時々笑ってしまう推しのひと言に、
日常の疲れがふっと抜けていく。

そういう時間を、ちゃんと味わえるようになったのは、
いいイヤホンやお気に入りのコンパクトスマートスピーカーを使うようになってからかもしれない。

ちょっと奮発したけど、
「音が変わると、気分も変わるんだな」って実感した。

推し活って、誰かを応援することでもあるけど、
それと同じくらい「自分を大事にすること」なんだと思う。


“推しがいる人生”は、こんなにも豊かだった

「もう若くないし…」
「いまさら誰かを応援しても意味ないし…」

そんなふうに思っていた頃の私に、そっと教えてあげたい。
“推し”がいるだけで、こんなにも人生が変わるってことを。

推しは、現実から逃げるための存在じゃなかった。
むしろ、現実の中に小さな喜びを見つけてくれる“光”のような存在でした。

仕事で疲れていても、推しのひとことに救われた日がある。
心が折れそうなときも、推しの笑顔に涙が出るほど励まされた日がある。

何より、自分が「まだこんなふうに心が動くんだ」と気づかせてくれたのが、推し活だったんです。

50代って、人生の折り返し地点を過ぎて、「もう先が短い」なんてネガティブに思ってしまう瞬間があるけれど──
推しがいると、「この先も、まだ楽しいことがある」と思える。

それは、誰かに与えてもらうものじゃなくて、
自分自身が“自分の気持ちに素直になった”からこそ得られた喜びでした。

推し活って、もしかしたら「自分をもう一度、大切にする時間」なのかもしれません。


おわりに

推し活は、若い子の特権じゃない。
50代の私たちにだって、ときめく権利がある。

むしろ、この年齢だからこそ見えてくるもの、味わえる深さがある。
誰かを心から応援することは、
実は「自分の人生を応援すること」だったのかもしれません。

これからの人生も、静かに、でも確かに心がときめく時間を、私は大切にしていきたい。
“推し”という存在に出会えたことを、心から嬉しく思いながら──。

💗 推し活時間をもっと快適にしてくれるアイテム 💗

🌿 関連記事もあわせてどうぞ 🌿

👉 「人生は暇つぶしでいい」──50代で気づいた“何もしない”を楽しむ暮らし方
忙しさに疲れた日々に、ふと立ち止まって心を休めるヒント。

👉 誰かのためじゃなく、自分のために|無理しない毎日のつくり方
自分を後回しにしないで、自分の気持ちを大切に生きること。

50代女性が推し活ライブを楽しむ光景。まばゆいステージと、心を整える静かなひととき
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

当ブログ管理人のかこです。
50代になり、これからの人生をもっと楽しく、豊かに生きたいと思っています。このブログでは、50代からの人生開花をテーマに、日々の暮らしや心のケア、趣味のことなどをシェアしています。

目次