はじめに:誰かのために生きてきた、という疲れ
「ちゃんとしなきゃ」
「迷惑をかけちゃいけない」
「嫌われたらどうしよう」
——そう思いながら生きてきた私は、いつの間にか「自分を後回しにするのが当たり前」になっていました。
家族のこと、仕事のこと、友人づきあい、近所づきあい。
誰かの顔色をうかがい、怒らせないように気を配り、傷つけないように言葉を選んできた日々。
気づけば、「私が本当に望んでいることって何?」と自分に問いかけても、うまく答えられなくなっていたのです。
「誰かのため」は、とても素敵な言葉かもしれません。
でも、それが続きすぎると、自分を消してしまうことにもつながるのだと、私は身をもって知りました。
今回の記事は、そんなふうに「ずっと誰かのために頑張ってきたあなた」へ贈る、心をゆるめるためのメッセージです。
母として、娘として、職場でも「いい人」であろうとした私
私は若いころから、人からどう見られるかをとても気にする性格でした。
嫌われたくない。できれば、好かれたい。そんな思いが強かったと思います。
母親になってからは、「ちゃんとしたお母さん」と思われたくて、子どもの前ではいつもニコニコ。
少しでもイライラした自分を見せると、「こんなお母さんでごめん」と自己嫌悪に陥っていました。
介護が必要になった親に対しても、娘としてできる限りのことをしてきたつもりです。
しかし、心のどこかでは「いい娘と思われたい」「きちんとしていると思われたい」と思っていたのかもしれません。
職場では、いつも頼られる存在でありたくて、断るのが苦手でした。
「〇〇さんならお願いしやすいから」なんて言われると、嬉しい反面、内心はプレッシャーでいっぱい。
でも断ると迷惑がかかる気がして、つい「やります」と言ってしまう。
本当は疲れているのに、具合が悪いのに、それを口にするのが怖かったのです。
「迷惑な人」「やる気のない人」と思われるのが嫌で、何も言わず、笑顔だけを貼りつけていました。
そんなふうにして、私は少しずつ、でも確実に、自分をすり減らしていったのだと思います。
心がぷつんと切れた日──そのとき私は
ある日、ふとした出来事で、心の糸がぷつんと切れました。
その日は仕事でも家でも予定が詰まっていて、朝から慌ただしく動いていました。
職場では後輩のフォロー、家に帰れば親の病院付き添い、そのあと夕食の準備。
「やらなきゃいけないこと」で一日が埋め尽くされていました。
夕食後、洗い物を終えたあと、ふとリビングに座ったときでした。
体は動いているのに、心が全然ついてこない。
頭の中が真っ白で、何をどうしたらいいのか分からなくなったのです。
「私、なんでこんなに頑張ってるんだろう?」
思わず、ポツリと口から出た言葉に、自分でハッとしました。
そして、その瞬間、涙があふれて止まらなくなったのです。
ずっと、「頑張るのが当たり前」だった。
誰かの期待に応えるのが、自分の価値だと思っていた。
でも本当は、ただ「わかってほしかった」だけなのかもしれません。
「疲れたよ」
「ちょっとだけ休みたい」
「誰かに甘えたい」
そんな弱音を、ずっと飲み込んでいた自分に気づいて、私は自分に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
「頑張らなきゃ」って気持ちは大事。でも、頑張りすぎると、心も体もどこかしんどくなる──。そんな経験、ありませんか?
👉 「人生は暇つぶしでいい」──50代で気づいた“何もしない”を楽しむ暮らし方
「誰かのため」ではなく「自分のために」動いてみる
それから私は、少しずつ「自分のために動く」という選択を意識するようになりました。
最初はとても勇気がいりました。
「こんなことしたらワガママだと思われるんじゃないか」
「自己中心的に見えないかな」
そんな不安ばかりが先に立ちました。
でもある日、「週に一度だけ、自分のための時間を作ろう」と決めたのです。
たとえば、好きなカフェに行ってぼーっとする。
本屋で何も考えずに気になる本を手にとる。
近所をゆっくり散歩して、風の音や花の香りを感じてみる。
そんな小さな時間が、私の心をじんわりとほぐしてくれました。
やってみて初めて、「誰かのため」と「自分のため」は両立できるということにも気づきました。
むしろ、自分を大事にしているほうが、まわりとの関係も穏やかに保てる。
それに気づけたことが、私にとって大きな一歩でした。
無理しないための、私なりの暮らし方
「誰かのために」と頑張りすぎていた頃は、朝起きた瞬間から憂うつでした。
やることのリストは、終わらせてもまた次々に増えるばかり。
予定が詰まった手帳を見ては、ため息がこぼれる毎日でした。
でも、自分のために生きると決めてからは、少しずつ暮らしのリズムを見直すようになったんです。
まず私がやめたのは、「完璧にやろうとすること」。
家事も仕事も、以前は手を抜くことが罪のように感じていました。
でも今は「ほどほどでいい」と自分に言い聞かせています。
洗濯物がたたまれてなくても死なない。
お惣菜に頼っても誰も怒らない。
今日できなかったことは、明日やればいい。
そんなふうに考えるようになったら、不思議と時間も心もゆとりが生まれました。
そして次に取り入れたのが、「自分だけの朝時間」。
朝、10分だけ早く起きて、お気に入りのハーブティーを淹れる。
静かな部屋で、その香りに包まれてぼーっとする。
たったそれだけで、一日のスタートが心地よくなるのです。
他にも、散歩、日記、読書、手帳タイム…
暮らしに「自分を整える時間」を少しずつ散りばめていきました。
無理をしないためには、「自分を満たすこと」がなにより大切だと、今ならわかります。
「自己犠牲」を手放したその先で
私が長年抱えていたもの、それは「自己犠牲という美徳」でした。
いつのまにか、
「誰かを優先することが正しい」
「自分を後回しにしてこそ、大人の女性」
そんな思い込みに縛られていたのです。
でも、それでは長く続かない。
どこかで無理がたたって、心も身体も壊れてしまう。
それが、あの日ぷつんと切れた心の糸で、ようやく気づけたことでした。
自己犠牲を手放すことは、わがままになることじゃない。
むしろ、自分を大切にすることで、他人にも優しくできる。
それが本当の意味での「思いやり」だと、今は信じています。
今では、誰かの期待よりも、
「私はどうしたい?」という自分の気持ちを優先して生きています。
もちろん、今でも「誰かのために」と思うことはあります。
でも、それは自分にゆとりがあるときだけ。
無理してまで与え続けるのは、もうやめました。
そんなふうに少しずつ、自分を取り戻していく過程は、まるで断捨離のようでした。
不要なもの(思い込み・罪悪感・義務感)を手放していくことで、
心の中に、本当に大事なものだけが残っていく感覚。
そうして私は、「誰かのためじゃなく、自分のために」生きる毎日へと、歩き出せたのです。
「自分を大切にしよう」と思っても、すぐには切り替えられないこともありますよね。私もそうでした。
そんなとき、この記事が少し背中を押してくれたら嬉しいです。
👉 「誰かのため」に疲れたあなたへ|やさしく自分を取り戻す方法
「好き」が教えてくれたこと
誰かのために頑張り続けていた頃、
私は「自分が何を好きだったか」すら忘れていました。
学生の頃、好きだった絵を描くこと。
雑誌を切り抜いて、スクラップブックを作ること。
静かなカフェでひとり、物思いにふけること。
どれも、忙しさや義務感の中で、長いあいだ置き去りにしていたものばかりでした。
でもある日、ふとしたきっかけで再会したんです。
それは、ひとりで立ち寄った雑貨屋さん。
木の香りが漂うその店の一角に、小さなハンドメイド作品が並んでいて、
どれも心をくすぐるような温かさがありました。
「わたしも、また何か作ってみたい」
そう思った瞬間、心がポッとあたたかくなっていたのを、今でも覚えています。
その日から、少しずつ「好きなもの」を日常に取り戻していきました。
ペンを手にして、スケッチブックを開く。
お気に入りの素材で、ミニポーチを縫ってみる。
ベランダに小さな鉢植えを置いて、植物の成長を楽しむ。
そうして「好き」が日常にある暮らしは、
思っていたより、ずっと豊かで心地よかったのです。
「好き」を大切にすることは、
自分を大切にすることにつながるんですね。
それに気づいたとき、私はやっと、“私の暮らし”を生き始めたような気がしました。
「自分のために」生きることは、誰かを傷つけること?
「自分を大切にしよう」「自分のために生きよう」
そう語ると、ときどき言われるんです。
「なんか自己中心的じゃない?」って。
でも私は思うのです。
“自分を粗末に扱ってまで、誰かに尽くすこと”は、
本当に優しさなんでしょうか。
私たちは長いあいだ、
「誰かの役に立たないと存在価値がない」
そんな刷り込みの中で生きてきたのかもしれません。
でも、本当は──
自分のことをちゃんと大切にできる人こそ、
誰かに本物のやさしさを届けられるんじゃないかと思うのです。
たとえば、疲れているときに無理して手伝っても、
イライラした表情がにじみ出てしまうこと、ありませんか?
でも、自分の気持ちと体調を優先して休んでから、
「今なら大丈夫」と心から思えるときに動けば、
それは自然と感謝される優しさになる。
自分のために生きることは、
わがままでも、 selfish でもありません。
むしろ、それは“誠実な選択”なんです。
誰かの気持ちにばかり敏感になって、
自分の感情を無視し続けること。
それは、いずれ自分にも他人にも、苦しみをもたらしてしまう。
だから私は、これからも自分の心の声に、しっかり耳を傾けていきたい。
そう思っています。
50代でやっと気づけた“自由”の意味
若い頃は、「自由」ってキラキラした言葉に思えました。
自分の好きな場所へ行き、好きなように生きる。
誰にも縛られず、風のように軽やかに──。
でも現実には、
仕事、家族、責任、お金、不安……
さまざまなしがらみによって、「自由」とはほど遠い日々。
そんななかで、私は思い違いをしていたのかもしれません。
自由って、誰にも縛られないことじゃないんです。
自分の意思で選び取ること。
そして、自分の選択にちゃんと責任を持てること。
誰かの顔色をうかがって生きるのではなく、
「わたしはこうしたい」「これはNOだ」と、
小さな声でも自分の意思を大切にする。
それが、ほんとうの自由なんじゃないかと気づきました。
50代になって、やっと──
“自分を苦しめていたのは、他人ではなく自分だった”
そんなことに気づけたのです。
無理に合わせなくていい。
笑いたくないときは、無理して笑わなくていい。
人に尽くせないときは、自分を責めなくていい。
そう思えたとき、ふっと心が軽くなりました。
そしてその「軽さ」は、
年齢を重ねたからこそ手にできた自由だったのかもしれません。
「ひとりで生きる」覚悟と優しさ
離婚して、子育てが終わって、
両親の介護に向き合いながら、
「これから先の人生、ひとりで生きていくんだな」
そう感じる瞬間が、増えてきました。
もちろん不安がないわけじゃありません。
老後のこと、お金のこと、体調のこと。
でも、どこかで腹が据わったのも事実です。
ひとりで生きるということは、
“誰にも頼らない”ことではなく、
“誰のせいにもせず、自分で選ぶ”という覚悟だと思うのです。
そしてその覚悟は、私の中に新しい「優しさ」を育ててくれました。
人はそれぞれ、背負っているものが違う。
価値観も、過ごしてきた時間も、環境も違う。
だからこそ、他人を変えようとするのではなく、
まず「自分の心のあり方」を整えることが大事なんだと。
最近は、人の言葉に過剰に反応しなくなりました。
心ない言葉に傷ついたとしても、
「それはその人の問題」と、少し距離をとれるようになった。
自分を信じて、自分の道を歩く。
ときには立ち止まっても、寄り道してもいい。
そんなふうに、ひとりで生きることに
優しさとあたたかさを感じられるようになったのです。
「誰かのため」から「自分のため」に切り替えると、世界はやさしくなる
長いあいだ、私は「誰かのため」に生きてきました。
親の期待に応えようとした学生時代、
子どもの将来を思って必死に頑張った子育て時代、
職場では“頼られる存在”であることに必死だった時期もあります。
でもいつの間にか、
「誰かのために生きること」が、
「自分を犠牲にすること」になっていたのです。
そうなると、やがて心はすり減っていきます。
小さなイライラが募り、笑顔も減り、優しさを持つ余裕もなくなる。
気づけば、自分にも、周りにも厳しくなっていた――
そんな時期を経て、やっと気づいたのは、
まず自分を満たさないと、誰にも優しくなんてできないということ。
誰かのために頑張る前に、
自分の気持ちを大切にする。
無理しない。疲れたら休む。やりたくないことは「やらない」。
心が喜ぶ選択をする。少しだけわがままになってみる。
そうして自分を満たしていくと、
不思議と世界はやさしくなっていきました。
人の言葉に傷つかなくなり、
人の幸せを素直に喜べるようになり、
そして何より、自分が笑顔でいられる時間が増えていきました。
「誰かのためじゃなく、自分のために」
その意識の切り替えが、
50代の私にとっての“生き直し”の一歩になったのです。
「女だから」「母だから」「結婚してるから」──そんな役割に縛られすぎて、自分を見失いそうになったとき、思い出したいことがあります。
👉 再婚しない理由とは?私が選んだ自由な生き方
🌿 まとめ:自分を大切にできる毎日が、人生を変えていく
「無理しない毎日」って、
何もしないとか、サボることじゃありません。
自分に正直に、心に嘘をつかずに過ごすこと。
がんばるときもあるけど、休むときはしっかり休むこと。
「こうすべき」「〜ねばならない」から、自分を解放してあげること。
50代になった今、
ようやく私は、自分の人生を“取り戻して”いる感覚があります。
自分のために、丁寧に生きる。
その積み重ねが、未来の自分を救ってくれると信じています。
🌿 自分のために選んだ“ちょっといいもの”をご紹介します
「自分を大切にする」と決めてから、わたしが実際に取り入れてよかったモノ・サービスです。
少しでも誰かのヒントになれば嬉しいです🌸
寝る前や読書タイムに、カモミールティーを一杯。
自分をいたわるやさしい習慣として、ハーブティーを取り入れています🌿
💻 自分の「好き」が仕事になる、副業のすすめ
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